08


それから程なくして着替え終えた俺の元に白衣を身に付けた三輪が診察にやって来た。

「熱は下がったみたいだけど、まだ絶対安静が解けたわけじゃないからね」

三輪にも話が通っているのだろう、一通り触診と問診を終えた三輪は釘を刺すように言ってくる。

「それと日向。お前は邪魔だからちょっと外に出てて」

俺が診察を受けている間邪魔にならぬよう日向は壁際に避けていたが、三輪に辛辣な言葉を投げ付けられて病室から出て行く。

「俺は一応拓磨くんの護衛なんだぞ」

「僕の病院で何か起こるわけないだろ」

そんな二人のやりとりを俺は何となくぼんやりと眺めていた。

三輪は日向が退席したのを見届けると振り返り、手にしていたペンを白衣の胸ポケットに挿し、ベッドの脇に置かれていた椅子を引き寄せて座る。
カルテを膝の上に乗せて俺と目線を合わせると口を開いた。

「僕が口を出すことじゃないかもしれないけど、…会長は恐い人だよ。拓磨が何で会長の元に居るのかは聞かないけど、離れられるなら早く離れた方が良い」

「いきなり何を…」

「言うのかって?それは拓磨が気に入ったからさ。今なら助けてあげられるよ。どうかな?」

ふふっと柔らかく笑い差し出された三輪の手を俺はジッと見つめる。

猛が恐いのに間違いはない。実際、俺は猛の底知れない闇を垣間見て寒気を覚えた。だけど、

“…ただ一人、お前だけを愛してやる”

“欲しいものは口にしろと言ったはずだ”

今は恐いだけじゃない。
形にするには朧気で、言葉にするには曖昧な想いが俺にそう語りかける。

少しの間考えて結局俺は三輪の手を取らなかった。
そして、それに対しにこにこと笑っていた三輪はにやりと表情を意地の悪いものに変えた。

「合格。これで僕の手を取ったら本当どうしてやろうかと思ったけど」

「は…?」

「会長が恐い人だっていうのは本当。だけど、会長が手ずから情人を運んできたのは拓磨が初めてだよ」

「な…に?」

「愛されてるねぇ。もし会長と何かあったら僕に連絡すると良い。名刺は渡してあったよね。これでもカウンセラーの資格も持ってるし、どこぞの使えない護衛よりはマシだって自負してるから」

何やら一方的に話を進める三輪に俺は呆気にとられて押し黙る。

「そうだ一つ良い事を教えてあげる。会長は拓磨が病院に運び込まれてから日に一度は拓磨の顔を見に病室に立ち寄ってるんだよ」

「え?」

「大抵拓磨が寝てる時間だから気付いてないのもしょうがないけど、たまには拓磨が起きてる時に顔を見にこれば良いのにね」

そして長々と話を続ける三輪の言葉を断ち切ったのはノックも無しに開かれた病室の扉だった。

「調子はどうだ」

そう言いながら室内に入ってきたのは猛で、三輪は瞬時に意識を切り換えると静かに椅子から立ち上がり聞かれたことに答える。

「無理をさせないと約束して頂ければ医者として外出の許可は出せますが」

「そうか」

猛は三輪の言葉に頷くと三輪が場所を空けるように移動したベッドの脇に立ち、上体を起こして座っていた俺の体をいきなり横抱きにして抱き上げた。

「っ、何すんだよ!」

「暴れるな。この方が早く済む」

「だからって…」

「それにここに運んでやった時も同じように抱いてやったろう」

だから恥ずかしがることでもないと猛は言いたいのか。しかし、それは意識のない時の話であり、こうも軽々と持ち上げられては男の矜持に傷がつく。

たがそんな些細なこと、この男が聞く筈も無かった。自分のしたいようにする、それが猛だ。

一般人に考慮してか人気の少ない廊下を進み、関係者以外立入禁止と貼られたエレベータに乗り込み俺は猛に横抱きにされたまま病院の地下へと連れていかれた。

地下へ降りると既に車が用意されており、運転席には日向。唐澤の手により開かれた後部座席に俺と猛が座り、最後に唐澤が助手席に乗り込む。

日向は慣れた様子でゆるやかに車を発進させると病院の地下駐車場からネオンの瞬く地上へと出た。
行き先は予め告げられているのか日向は無駄口を聞くこともなく静かに車を走らせる。

「…猛」

「なんだ?」

車に乗った時ようやく横抱きから解放された俺は隣で足を組んで座る猛を見上げ、意を決し堅い声音で話し掛けた。

「もし、俺が人を殺したらどうする?」

真剣な眼差しで問うた俺に猛は冷ややかとも言える冷徹な眼差しを返してくる。つまらない事を聞いたとでもいうような顔をしてフンと鼻を鳴らした。

「お前には出来ねぇ。出来もしないことを問うな」

「なんで…」

「さぁな」

それきり猛は俺から視線を外し、流れるネオンをつまらなそうに眺める。
これ以上の返事は望めないかと諦め、俺も猛から視線を外した矢先、ぽつりと呟くように溢された声が耳に届いた。

「お前はもう選んだ」

「……?」

何をと問い返すことも憚られる猛の雰囲気に俺も口を閉ざし、車内は沈黙に包まれた。

やがて窓の外を流れる景色からネオンが消え、明かりの少ない道に入る。
俺にとっては見慣れた、倉庫が並ぶ一画。
チーム、鴉が拠点を置く古い倉庫街だ。

その中の一つ、2Bと掠れたペイントがされた倉庫の入口に、車のライトに照らされ赤い車体のバイクが停めてあるのが見えた。

「大和…」

それ以外にバイクは見当たらない。常であればどこかしらのチームがいて、集会を開いているはずだが今夜に限り倉庫には誰もいなかった。

それは大和の指示か。

車は倉庫の前で停車し、唐澤が降りた後、俺と猛が降りる。運転席側に回った唐澤は日向から車の鍵を受けとると一人、車の元に残った。

「行きますか」

日向に先を歩かせ、無理の出来ない俺はゆっくりその後に続く。猛は俺に合わせているのか隣に並ぶようにして歩く。

がらがらと音を立てて開いた倉庫から明かりが漏れ、辺りを明るく照らした。

この倉庫は鴉というチームを作った初代メンバーが買いとったもので、倉庫の中は倉庫と思えない程に改造されている。
天井から吊るされた灯りの下には黒革のソファに硝子製のテーブル。酒を飲む為の小さなカウンターに、作り付けの棚には種類豊富な酒が並ぶ。壁にはダーツボードが掛けられ、倉庫の片隅にはビリヤード台が置かれていた。

その台を避けて更に奥へ行けば間仕切りで仕切られた空間がある。

倉庫の扉が開いた音に気付いたのか大和が間仕切りの向こう側から姿を現した。

「トワさん、来たぞ」

そして俺達の姿を認めると背後を振り返り、大和は間仕切りの中へ言葉を投げた。


間仕切りで区切られた中には仮眠用にしては立派なベッドが置かれていて、そこにトワとマキがいるのだろう。

一歩一歩倉庫内を奥に向かいゆっくりと進む。

間仕切りの横に立った大和は相変わらず感情を読ませない目で近付いていく俺を見ている。けれど、その目が心配気に僅かに揺れた事に今の俺は気付けた。

そして、すぐそこに志郎の仇であるマキがいると分かっても何故か俺の頭は冷静で。
見境もなく、感情を乱したあの時と違い何故こうも冷静でいられるのか俺自身分からなかった。だが、これ以上大和に心配をかけさせない為には良いことなんだとも思う。

大和の手前で足を止めた日向は大和と二言三言言葉を交わすと俺と猛を振り返る。

「奴はこの中で手当てを受けて眠ってるそうですが、どうします?」

それは本当に眠っているのか、トワに強制的に眠らされたのではないか。判断はつかないが猛から俺へと向けられた視線に俺は顎を引いて返した。

「俺はここで待つ。早く済ませろ」

顎でしゃくるように間仕切りの向こう側に行けと猛は俺の背を押す。
日向もここで待機するつもりなのか、中について来ようとはしなかった。

「…拓磨」

大和に先導され仕切られた空間に足を踏み入れる。

まず最初にベッドの横で足を組み椅子に座るトワが視界に入った。
次いでベッドの中に沈む人間。逃亡を防止する為かベッドとマキの身体はロープで縛られている。

顔色は蒼白で健康とは言い難く、どことなく呼吸も苦しそうだ。熱が出ているのか髪の毛は汗で湿っていて時折唇から声ともつかぬ声が漏れる。
服装はあの時のままなのか薄汚れていて、左腕の付近には黒い染みがベッドシーツにまで付いていた。

「マキ…」

あぁ…あれは俺がつけた傷だ。
そう思うとジワリと暗い喜びが顔を出す。
どんなに頭は冷静でも心の内に巣くった闇はそう簡単に消えたりはしない。

マキが憎いという思いは変わらず俺の胸を焦がしている。

「後藤」

ジッと手当てのされたマキの左腕を見ていたせいかトワから鋭い声が飛ぶ。

「………なにもしねぇよ、もう」

「拓磨…」

マキから視線を引き剥がし、一度は憎しみで染まった胸に左手を添える。

「今でもマキを殺したいと思ってる。…けど、それをすると俺が志郎を裏切ることになる」

静かに紡がれる言葉にトワと大和は口を閉ざし耳を傾けた。

志郎は俺を裏切ってなんかいなかった。
俺が気付かなかっただけで、ずっと俺の側にいるという約束は目に見えないだけで、志郎はずっと俺と共にあったんだ。

志郎と過ごした日々は消えることなく今も俺の中にあり、
泣くことも笑うことも怒ることも哀しむことも、全て教えてくれたのは志郎。

志郎が与えてくれたもの。教えてくれたこと。
それら全て、
俺の中で生きていた。
志郎は俺の中で生きている。

「だからもう命を捨てるような真似はしない」

そして、俺は二人にはっきりと言葉で告げた。

「志郎がくれた明日を刑務所の中で過ごすのは御免だ」

マキを許せないと思う気持ちはこれからもずっと続いていくんだろう。けれど、志郎が守ってくれた明日を捨ててまで、マキを殺す価値はない。

これで良いんだろう、志郎?

開け放たれていた倉庫の扉からふわりと頬を撫でる優しいが風が倉庫内へと吹き込んだ。



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